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雅楽本来の良さを考える
音楽の大切な要素とは、何だろうか? 私は音楽の専門家でもないし、評論家でもない。詳しいことが判らないので、友人のフルート吹きに尋ねてみた。すると、洋楽では「縦と横」だと言う。縦とは、リズム・音の長さ・音の形などのアーティキュレーション(音符の表現の仕方)で、横とは、音程・純清音・ハーモニーだとのこと。 さらにオーケストラなどでは、全体的なことで言えば、低音楽器から高音楽器までのバランス・サウンド(混じり合う音色・響き)・ダイナミックス・音楽的表現(メロディーの歌い方)なども大切な要素だそうだ。 ふーん、と関心するばかりである。さらに、いろいろなケースがあるという。
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雅楽においては、何が大切な要素となるのであろうか? 洋楽で言うような、縦と横があるのであろうか? 私が考えるに、基本的な音に対する考え方が、洋楽とは異なる気がする。 雅楽はもともと伝来音楽であった。その後、日本独自の音楽的感情が入り込み、現在のような形態で完成された。元は洋楽で言うところのオーケストラのような編成だったが、次第に簡素化されていった。 そうなった理由は、日本人の音に対する考え方が基礎となっているようである。込み入ったメロディーを極限まで簡素化するうちに、篳篥・龍笛・笙という限定された楽器のみが残り、大篳篥や大笙は使わなくなったのであろう。そこから、音の原点を自然界に求め、天空の音が笙で、天と地の空間を龍笛が繋ぎ、地を篳篥で表現する、というような考え方が生まれてきたのではなかろうか? ◆
いまの世の中、どこにいても、聴きたくなくても、音楽が耳に入ってくる。現代人は西洋音楽の渦の中にいる、と言っても過言ではない。そうした環境の中では、意識せずとも洋楽的なテンポやリズムが自然と身に付く。 最近、雅楽を初めて習う人にテンポの取り方を指導すると、なるほどと感心するくらい、うまく拍節を取る。現代人を取り巻く音楽環境のたまものだろう。唱歌の音程の取り方もうまい。しかし、それこそが、雅楽の吹き方・演奏の仕方であると勘違いする傾向がある。 なるほど、雅楽の四拍子は、洋楽で言えば4/4拍子に相当する。只四拍子は、2/4と4/4拍子の混合拍子に相当する。しかし、相当するだけで、イコールではないのである。
東儀秀樹氏の影響で、雅楽が一つのブームとなり、多くの団体が生まれている。なかには、西洋音楽の中から雅楽を目指して演奏活動をしている団体もある。テンポと音程の取り方は、どの団体もすばらしい。しかし、いま一度考えて見たい。本来の雅楽の良さとは何であろうか? ◆
明治になって楽部が作られたことにより、明治撰定譜が出来上がり、雅楽は広く一般へ普及するようになった。奈良・京都・大阪・紅葉山の楽人たちが集まり、唱歌を撰定したのである。 それまでは、篳篥譜や龍笛譜は、指の手付けしか表記されていないもので、唱歌は口伝であった。譜面を見ても唱歌が分からなければ、歌えない代物であった。笙もしかりである。それが、平安時代から明治になるまで連綿と続けられてきたのである。それほど、唱歌は雅楽の重要なものを含んでいるのである。 いま、譜面は簡単に手に入り、唱歌を見ることができる。逆にこれが良くない結果を招いているところもある。簡単に譜面が見られて拍子が4/4拍子であることから、音程を手付けから判断して、気軽に4/4で唱歌をする。なるほど、それも雅楽であろう。しかし、本来のものであろうか? ◆
私は、唱歌のメロディーが細かいフレーズは拍節が伸びても構わないと思う。4/4拍子だからといって、その長さの中に入れた演奏をする必要はないと思う。 西洋音楽をやっている人が、よく「雅楽は指揮者がなくても、よく合わせられるネー」と感心する。しかし、雅楽は合わせる音楽ではない。篳篥・龍笛・笙が、掛け合いながら演奏するものである。その基本が各管の唱歌なのである。 4/4拍子で演奏すれば、拍子は合わせられようが、合わせただけの面白味のない演奏になる。三管の掛け合いが、演奏の中に自然と入ってくると、間合いの取れた面白い演奏となるのである。 4/4という拍子はあくまでも目安であり、極端な言い方をすれば同じ一拍でも唱歌が細かければ長くなるし、単純であれば短くもなっても構わないのである。 篳篥が吹く主旋律に対して、いかに反応していくか? が笛の命題であり、その反応に対してどのように対処してメロディーを流していくかが笙の命題である。 拍子があって、メロディーが作られるのではない。唱歌というメロディーがあって、それに対してどのように演奏を掛け合わせいくか。これが、雅楽の本来の演奏たるべきところではなかろうか? かく言う自分自身も、そうした演奏を目指して試行錯誤している毎日である。
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