「菩薩(ぼさつ)」

菩薩
 雅楽の曲には、長い歴史の間に幾多の変遷を重ねるなかで新たに製作された楽曲もあれば、反対に消え去っていった曲もあります。
 いわゆる「廃絶曲」には、曲名のみが言い伝えられているもの、曲は残っているが舞が伝わっていないものなどがあります。
 たとえば、1980年(昭和55年)、東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要で天理大学雅楽部が演じた「伎楽」は、そのすべてが復元されたものです。宮内庁式部職楽部とNHKらによるプロジェクトによっておおよその形が復元され、以来、天理大学雅楽部がさらなる復興活動を行ってきました。

伎楽
「伎楽」の一場面 天理大学雅楽部の公演から
 伎楽の場合、古面が正倉院などに残っていますが、舞や曲などは現存しません。ですから、曲と舞は古来の様式に則って、曲は芝祐靖先生・舞は東儀和太郎先生の指導で再興されたものなのです。
 また、双調に「柳花苑」という曲がありますが、この舞も途絶えてしまい、天理大学雅楽部によって復元されました。
 それより、以前では、河南甫(かなんふ)・盤渉参軍(ばんしきさんぐん)・採桑老(さいそうろう)など、たくさんの復曲がなされています。

【曲の由来】

 今年初めて、天理教校附属親里高等学校雅楽部は「菩薩(ぼさつ)」の復元に取り組みました。
「今月の一曲」はこの菩薩について調べてみました。
 ちなみに現在、菩薩の曲と舞を実演しているところには、四天王寺と当麻寺があります。四天王寺は4月の聖霊会で行われます。しかし、もともとの舞は平安時代に途絶えたとのことです。現在行われている菩薩は、演奏は伝えられた譜面 で行われ、舞は二人の菩薩が舞台に上がり、二つの輪を作って歩く大輪小輪(おおわ・こわ)という行道作法をします。
 また、奈良の当麻寺でも菩薩の行道が、古来の作法にのっとって行われています。平安時代より続けられているとのことです。
 この四天王寺と当麻寺は、ともに聖徳太子ゆかりの寺です。  たとえば、1980年(昭和55年)、東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要で天理大学雅楽部が演じた「伎楽」は、そのすべてが復元されたものです。宮内庁式部職楽部とNHKらによるプロジェクトによっておおよその形が復元され、以来、天理大学雅楽部がさらなる復興活動を行ってきました。

【舞について】

 舞は平安時代に途絶えました。舞譜も残されていません。しかし、曲はあります。

【古い文献を巡って】

 いろいろな古い書物により、菩薩の舞について調べてみました。すると、次第にその状況が見えかけてきました。
『倭名類聚抄』『樂家録』『教訓抄』『元享釈書』『龍鳴抄 上』『仁智要録』『大日本史』『教訓抄四・七』『続教訓抄 舞案譜』『樂家録三六番舞』『法性寺金堂供養記』『栄華物語』『東寺供養記』
 以上の文献から、次のような事が推測できました。 1、菩薩の曲は、もともとは沙陀調(さだちょう)であったが、今日では壱越調に入れられていること。
2、舞は、林邑(りんゆう)国から来た仏哲(ぶってつ)によって伝えられたもので、抜頭(ばとう)などと同じ時期に伝来したこと。
3、元来、道行(みちゆき)があり、序があり、破があったようである。
 道行の演奏形態は2種類あって、林邑乱声(らんじょう)で出る場合、調子を吹いて出る場合があり。
 序は拍子十八と十六拍子があり、常は十六を使う。
 序は一帖(じょう) 拍子八(2説あり) 長説は林邑乱声・音取黄鐘調の音(2説あり…長き音取と短音取)、短説は調子にて入場、笛壱越の音取で止める。
序と破の間に詠(えい)があった。
 破は一帖(拍子十一) 楽は二返をもって一返となす。
4、言い伝えで、菩薩の道行をしている時、百歳くらいの媼(おうな)と翁(おきな)がいた。この二人は一人は腰立たたず、一人目見えずであったが、楽を聞くとともに腰の悪さも忘れ、目の見えないのも忘れ目お開け、舞喜ぶという口伝(くでん)がある。
5。菩薩の番舞(つがいまい)は、蘇利古(そりこ)、または獅子(しし)である。
 たくさんの文献に目を通して、さらにいろいろな説や口伝があり、整理がつかない状況でした。
 菩薩は壱越調の曲、仏哲により伝えられたもの、道行・序・詠・破という形式があった所までは判明いたしました。

【親里高校が復元に挑戦】

今回、親里高等学校では、舞がどんなものであったろうか? という疑問から舞の復元を試みたそうです。当然、菩薩面 の制作と装束の作製もしなければなりません。
 面は自分たちで作り、装束はとある寺より借用したそうです。
 興味と関心ある方は、10月27日に天理市民会館で行われる演奏会(詳細はこちら)を見に来て下さい。

(by きっさん)
・・・質問などありましたらこちらまで

【追 記!】

 この文章を掲載後、以下の資料を見つけました。菩薩の楽曲は芝祐靖先生によって、平成4年に復元されていたのです。舞のほうも、国立劇場で演じられたのでしょうか。どなたかご存じの方がありましたらお教えください。(2002.10.24 きっさん)
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懐中譜より「大菩薩」「小菩薩」

 雅楽曲「菩薩」は天平勝宝四年の東大寺大仏開眼法要の大導師として来日した婆羅門僧・菩提僊那と同行のベトナム僧・仏哲によって伝えられた「林邑八楽」の中の一曲。大菩薩(序=道行)菩薩破、小菩薩(急)の形態をなしていた。しかし大菩薩と小菩薩は古くに廃絶曲となり、菩薩破が明治撰定譜の二部(明治二十一年の追加曲)に楽曲のみ(舞は廃絶)記載されている。
 この曲は、仏の慈悲で盲目の老人と腰が抜けた老人を快癒させるという宗教的色彩が強かったために、宮内庁楽部の演奏に取り上げられることはなかった。
 平成四年三月、国立劇場の依頼により、明治撰定譜の「菩薩破」を中間部のメインにおき、前後の「道行」「急」を懐中譜(大神惟孝撰)より大菩薩、小菩薩を復曲して菩薩一具とした。

 「菩薩一具
  懐中譜 大菩薩(黄鐘調)序吹
  明治撰定譜 菩薩破(壱越調)延八拍子-明治撰定譜参照
  懐中譜  小菩薩(黄鐘調)早四拍子
 ★曲中に迦陵頻急(童舞)、獅子を奏する場合がある。
          平成四年四月 芝祐靖