「納曽利(なそり)~若宮の御祭」

納曽利
 久しぶりに、今月の一曲を作りました。 今月は12月で、奈良では「若宮の御祭」が行なわれます。そこで、それに関連したことを載せようと思いました。

【若宮の御祭について】

 「春日大社」の摂社「若宮神社」は、本社の南徒歩2分の所に鎮座し、本社と別の神、天押雲根命(あめノおしくもねノみこと)を祀り、例祭「おん祭」は、毎年12月17日に行われ、これをもって大和路の「祭り納め」と昔から言いますが、「おん祭」は既に10月1日、お旅所(たびしょ)の「縄棟(なわむね)祭」で始まって、12月1日、春日大社表参道、一ノ鳥居を入った「お旅所」に仮御殿が造られます。

 12月15日、祭で着用する衣装や器具が餅飯殿(もちいどの)町の「大宿所」に飾られ、14:30、16:30、18:00の三度、大宿所で「御湯立(みゆだち)式」があり、春日講の方々が大和士(やまとざむらい)の扮装で到着して、17:00より、「大宿所祭」が行われます。なお、この日に奈良では「のっぺ」を食べる習慣があり、地元の商店街で「ノッペ汁」がふるまわれます。

 12月16日14:00、「若宮神社」へ大和士が到着し、15:00、田楽座の方々が到着して田楽を奉納され、16:00より、「春日大社」と「若宮神社」で「宵宮(よいみや)祭」が行われ、神楽(かぐら)が奉納されます。

 12月17日00:00、「遷幸(せんこう)の儀」、「若宮」から「お旅所」へ御霊(みたま)が遷(うつ)されますが、秘儀にて行なわれます。01:00、「お旅所」で「暁祭(あかつきさい)」を行い、9:00、「本社」と「若宮」で「本殿祭」が行われ、12:00より、「お渡り式」、「県庁前」を出発した行列が各時代の多彩な風俗姿で、登り大路、三条通り、延々約2.5キロのコースを練り歩かれ、行列の総勢は約千人余りで、馬も数十頭の大行列です。

 まず始めに鼓笛隊やブラスバンドの先行々列が行き、その背後、「お渡り式」に先立って先頭に藤の紋所で紅白の幟(のぼり)が立ち、続いて千早(ちはや)と云う長い白布を肩から地面に垂らした赤衣(あかえ)の「梅白枝(うめノずばえ)」と「祝御幣(いわいノごへい)」が従い、 次に巻纓冠(けんえいかん)に桜の造り花を挿し、青摺りの袍(わたいれ)を着た騎馬の少年は「十列児(とおつらノちご)」。黒の束帯に藤の造り花を冠に挿した騎馬の貴人は、「日使(ひノつかい)」、昔、関白藤原忠通が「おん祭」に向かう途中で病になって、お供の楽人にその日の使いを頼んだ事に由来する使者です。

 その後に「巫女(みかんこ)」、「細男(せいノお)」、「十番力士・支証」、「猿楽(さるがく)座」、「田楽(でんがく)座」と続き、また、山鳥の尾を頂に立てたひで笠をかぶり、背に牡丹の造り花を負った騎馬の少年は、「馬長児(ばちょうノちご)」で、元は興福寺学侶が輪番で頭人になって稚児をしていた少年ですが、彼に随従する被者(ひしゃ)は、五色の短冊に「合ふ恋」「見る恋」「忍ふ恋」等の恋に関する文句を書き付けた札(ふだ)を吊り下げた笹を持ち、木履(ぼくり)を腰に付けて、龍蓋(りょうがさ)をかぶっています。

 更に後で行われる舞楽の蘭陵王と納曽利の順番を決める「競馬」の騎者、「流鏑馬児(やぶさめノちご)」、奉納の「将馬(いさせうま)」、「野太刀(のたち)」、「大和士」が続き、最後に江戸時代から「お渡り」に加わった大名行列は、大人と子供の行列が別々に練り、先箱持ちは「ひぃ~よいやさ~」、槍持ちは「えぃよいまかせぇ~」、そして又、大鳥毛持ちは「やぁこらさぁ~のぉさぁ」等とそれぞれ掛け声も異なっています。

 そして、行列が春日大社一の鳥居をくぐると、13:00頃、「影向(ようごう)の松」の下で金春一座の三人が「翁」を舞われ、狂言方が問答「三笠風流」を披露され、その他珍芸が奉納され、これら「南大門交名の儀」が終わると、また行列は「お旅所」に向かい、14:00頃、一の鳥居からお旅所に至る参道で競馬(くらべうま)。14:30過ぎ、稚児流鏑馬(やぶさめ)が行われ、15:00~、お旅所で「お旅所祭」、16:00~、「お旅所」の芝の舞台で八乙女(やおとめ)による「神楽(かぐら)」が奉納され、日が落ちてから行宮の瓜灯籠に灯がともり、舞台の周囲6ケ所に篝火が炊かれ「東遊」、「田楽」、「細男の舞」、「神楽式」、「舞楽」、「和舞」等の古典芸能が奉納され、23:00、「還幸(かんこう)の儀」で、御霊が「お旅所」へ遷幸されてから24時間以内に「若宮」へ還幸されます。

 12月18日、「後宴(ごえん)」で、13:00より、「お旅所」の南側で奉納「相撲」。14:00より、「お旅所」の芝の広場で「後宴能」が行われて、「祭り納め」となります。

【納曽利と落蹲(らくそん)について】

 今回の「今日の一曲」は納曽利に関わることを特記したいと思います。

 納曽利の解説は、曲目解説を御覧下さい。

 普通舞人が二人で舞う場合を、納曽利と言い、一人で舞う場合を落蹲と言います。しかしながら、南都楽所では、全く反対で一人舞を納曽利、二人舞を落蹲と呼びます。

 『枕草子』には、「らくそんは二人して、ひざふみてまひたる」という記載があります。 この記事から判断できることは、枕草子では南都楽所と同じ舞であると考えることができるのではと思いますが、確信はありません。

 一方、四天王寺楽所では、舞の半ばに跪く(ひざまずく)手があるので「落蹲」というとも伝えられています。跪く舞手があるのは、納曽利の破が終った時にひざまずきます。その後、急となります。四天王寺楽所の方は、現在の納曽利の舞振りと同じであろうと考えられます。 

 元々、楽部が出来る前は、各楽所自体で同じ舞でも舞振りが少しづつ異なるということがありました。楽部が出来上がると同時に譜面の調整が行なわれ、明治選定譜が出来上がるのです。舞についても同じことがなされたようです。そうした結果、現在の舞振りにおさまったのでしょう。

 納曽利は、多分天王寺関係からの舞振りが伝えられており、それが現在舞われています。南都楽所では、。大神流の舞を伝承しており、明らかに舞振りが異なります。

 私個人の考えですが、竜が天空に登る様はこの大神流の舞振りの方がよりリアルであります。一度、17日の御祭で御覧になったらいかがでしょうか?
(by きっさん)
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